火傷しなけりゃわからない 読書感想「華氏451度」
11月 11th, 2009 admin Posted in 書評, 未分類 |
早川書房
売り上げランキング: 22686

SFが描く普遍的問題
前回紹介した「虎よ!虎よ!」と一緒に借りた本。まずこの本はタイトルだけでその価値が保証されているように思える。SF小説のタイトルランキングを作ったらベスト5には入るのでは無いだろうか。
華氏451度とは紙の燃焼点、つまり紙に火がつく温度である。
(僕がこの本を読んでいたら知り合いが「ああ映画みたことあるよ、流行ったよね」と言っていたが多分それは451度の2倍ぐらいの温度の話だろと思った)
あらすじ
時代は近未来、(なんと!)本が禁止されている時代。情報が規制され、人々は耳にラジオをつけ、立体のテレビに浸り、考えることをしない生活をしている。
主人公はファイヤーマン。ただし火を消すのではなく、本を違法所有している家を焼くというとんでもない仕事。いまの社会がなにかおかしいと感じていた主人公は、本を命をかけてまで守る人を目の当りにし、ある時ついに誘惑に負け、焼かなければならない本を持ち帰ってしまう。
感想
地味!話はとても地味である。そして暗い。しかも主人公は最終的にわかりやすい成果は得ない。政府を倒すこともなければ、周囲の人を助けることはできないどころか、嫁に密告される。
しかし、だからこそ僕は良い結末だなと思った。世の中を変えるということはきっとこういう風にしかできないのだろうと。人間は僕を筆頭に愚かな人がほとんどなわけで、そんな人達に本が読めない現状のおかしさを訴えたり、テレビの害を訴えたりしてもどうしようもないのだ。
僕は最近レストランにいくにも、観光をするにもネットの口コミ情報が気になり、なにか物を買うなら価格.comが気になり、新しい言葉を聞いたらwikipediaで調べてしまう自分の習慣にうんざりしている。ネット(に依存してしまった自分)のせいで自分で考えることも、人とのコミュニケーションもとても減ってしまっているのだ。
以前だったらセーターの洗いかたがわからなければ母親に電話した、釣り具の扱いがわからなければ上司に聞き、安い店がわからなければ近所の人に聞いた。そういったあたりまえだったコミュニケーションがネットのおかげでどれほど不要になってしまったことか。
しかも最近はTwitterなんでものが登場してしまい、ついに友人同士、ひいては自分自身とのコミュニケーションも奪われようとしている。友人に話を聞いてもらい否定されたり、自分自身に問いかけて無理矢理咀嚼するということが不要になってきているのだ。感じたことは嬉しいことも悲しいこともTwitterに投げればいい。フォローが100人もいればどんな内容でも「それはひどい」「それは
すごい」と何人かは肯定してしまうのだから。つねに肯定されて生きていく。悩みのない世界。そんな風に成長した人間とはどういうものなのだろうか。
しらないうちに僕等は現実を見つめるのが恐ろしいからと、詩を嫌がるボウルズ夫人を笑えない状況になるんじゃないかと思う。
しかし、それが悪いことばかりとは思わない。こういうことは新しいものが発明されるたびに誰かが言うものなのだ。レコードができたときも「コンサートにいかないで音楽を聞くなんて!」と言った人がいるだろうし、電話ができたときも「顔をあわせないで会話をするなんて!」と嘆いた人がいるだろう。僕が知りたいのは、その先がどんな風になるかということだ。それは世界が絶望に包まれた状況で不死鳥を例にあげて登場人物も言っている
どうだね?わしたちに似ておるとは思わんかね?わしたちもそれとおなじことを、何度となくくりかえしておる。ただ、わしたちには、不死鳥のもっておらなんだものがある。わしたちには、いまやったことの愚劣さがわかるのだ。
この話は作者の人類に対する絶望と希望の両方が詰められた話である。作者が考える未来はもう来ているのか、それともずっと先の話なのか、それとも単なる杞憂なのか、とてもかんがえさせられ、考えれば考える程面白い一冊でした。
★★★★☆

Leave a Reply